高山樗牛2

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 おもひにたへで、われは戸をおしあけて磯ちかく歩みよりぬ。十日あまりの月あかき夜半なりき。三保の入江にけぶり立ち、有渡の山かげおぼろにして見えわかず、袖師、清水の長汀夢の如くかすみたり。世にもうるはしきけしきかな。われは磯邊の石に打ちよりてこしかた遠く思ひかへしぬ。
 おもへば、はや六歳のむかしとなりぬ、われ身にわづらひありて、しばらく此地に客たりき。清見寺の鐘の音に送り迎へられし夕べあしたの幾そたび、三保の松原になきあかしゝ月あかき一夜は、げに見はてぬ夢の恨めしきふし多かりき。
 六とせは流水の如く去りて、人は春ごとに老いぬ。清見潟の風光むかしながらにして幾度となく夜半の夢に入れど、身世怱忙として俄に風騷の客たり難し。われ常にこれを恨みとしき。
 この恨み、果さるべき日は遂に來りぬ。こぞの秋、われ思はずも病にかゝりて東海のほとりにさすらひ、こゝに身を清見潟の山水に寄せて、晴夜の鐘に多年のおもひをのべむとす。ああ思ひきや、西土はるかに征くべかりし身の、こゝに病躯を故山にとゞめて山河の契りをはたさむとは。奇しくもあざなはれたるわが運命かな。
 鐘の音はわがおもひを追うて幾たびかひゞきぬ。

左の方よりは足助の二郎重景とて、小松殿恩顧の侍なるが、維盛卿より弱きこと二歳にて、今年方に二十の壯年、上下同じ素絹の水干の下に燃ゆるが如き緋の下袍を見せ、厚塗の立烏帽子に平塵の細鞘なるを佩き、袂豐に舞ひ出でたる有樣、宛然一幅の畫圖とも見るべかりけり。二人共に何れ劣らぬ優美の姿、適怨清和、曲に隨つて一絲も亂れぬ歩武の節、首尾能く青海波をぞ舞ひ納めける。滿座の人々感に堪へざるはなく、中宮よりは殊に女房を使に纏頭の御衣を懸けられければ、二人は面目身に餘りて退り出でぬ。跡にて口善惡なき女房共は、少將殿こそ深山木の中の楊梅、足助殿こそ枯野の小松、何れ花も實も有る武士よなどと言い合へりける。知るも知らぬも羨まぬはなきに、父なる卿の眼前に此を見て如何許り嬉しく思い給ふらんと、人々上座の方を打ち見やれば、入道相國の然も喜ばしげなる笑顏に引換へて、小松殿は差し俯きて人に面を見らるゝを懶げに見え給ふぞ訝しき。

 夫れ道徳は至善を豫想す。至善とは、人間行爲の最高目的として吾人の理想せる觀念なり。是の至善の實現に裨益する所の行爲、是を善と謂ひ、妨害する所の行爲、是を惡と謂ふ。至善其物の内容如何は、學者によりて必ずしも説を同うせずと雖も、道徳の判斷が、是の地盤の上に立てるの一事は、古今を通じて渝らず。されば凡百の道徳は、其の成立の上に於て、少くとも兩樣の要件を具足するを必とすと見るを得む。兩樣の要件とは何ぞ。一に曰く、至善の意識也。二に曰く、是の意識に遵ふて外に現はれたる行爲の能く其の目的に協へる事也。至善に盡すの意ありて而かも其の行ひ是れに伴はざらむ乎、若しくは其の行ひ能く善に協ひて而かも善を爲すの心なからむ乎、道徳上の價値は共に全きを稱すべからざらむ。
 是の如く詮議し來れば、吾人は茲に一疑惑に逢着せざるを得ざる也。例へば古の忠臣義士の君國に殉せるもの、孝子節婦の親夫に盡せるもの、彼等は其の君國に殉し、親夫に盡すに當りて、果して所謂る至善の觀念を有せし乎、有して而して是に準據したりし乎。換言すれば、君國の爲にするは彼等の理想にして、而して死は是れに對するの手段なりと考へし乎。親夫の爲にするは彼等の至善にして、而して是れに盡すは彼等の本務なりと思ひし乎。若しくは、君國親夫と謂ふが如き具體的觀念の外に、忠義孝貞と謂ふが如き抽象的道義を認めて、是を奉體せりと見るべき乎。若し是の如く解釋する能はずとせば、忠義と云ひ、孝貞と云ふもの、道徳上の價値に於て言ふに足らざるものならむのみ。